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今日という日はもう来ない

朝起きて当たり前のように写真が撮れる日を迎えることは嬉しいことでございます。

平和であることの証拠でございます。あらゆる意見や主張や批判や議論なども平和だからこそできるものであります。そういう大前提を忘れて人の命まで取ろうとする言葉を操ることは戦争への第一歩になりかねません。わたくしは常にそう思っております。

今日は夏休みの方々も多い中でありましたので、間近で見るところよりも少し離れた場所から見てみるのもいいものでございます。

海は綺麗なマリンブルーでその日その日で色を変えるここの海はとても好きな風景でございます

エメラルドグリーンに変わる時もございますので、作品作りの撮影も兼ねてぼんやりと眺めているだけの時間も乙なものでございます。

白鳥居と夫婦岩はたくさんの方に愛でられておりましたので、邪魔にならないところで撮影と思い移動しました。

海での撮影は何もない日もあれば、インスピレーションを掻き立てらる被写体が突然現れたりとその日でなければ見ることができない風景との出会いでございます。

逆を言うと過ぎ去ってしまう時間でもございます。今日という日で消えてしまう風景。波が作り出し風が作り出した自然の風景は明日にはもうなくなってしまうのでございます。

一期一会の風景を自然は完全な形で作り上げていきます。どんな風景も完璧であり、わたくしたちはそれを自分の主題に沿って切り取るだけでよいのであります。それ以外には何もしなくても完全なのですから。

夕日もおなじという日はありません。毎日違うのでございます。

夕日を撮り終えた帰り道、ぼんやりと車からの風景を見ていたらふと思うことがありました、

光がなければこの世界の美しい風景は一切が消えてしまう。完全な世界を映し出す光がなんの不思議もなく存在していることの不可思議さと、完全な肉体を持った不完全な意識の塊である人間だけが知覚出来るのはどんな作用なんだろうかと写真を撮った帰りにぼんやりと思い浮かべてしまう。

完全な自然の世界を模倣して生きやすい世界を作り続けていきながら、けっして完全にはなれない世界を作り続ける人間の矛盾すら自然という世界は内包してしまう。

光が無くなった世界では完全さも不完全さも姿を隠してしまう。

光の下に晒されることを恐れる人間の営みはどんなに時間を得ても時代を遡っても夜行性でしかない。

自然の完全さに楯突こうと光を味方にしようとして、その逆にその不完全さを闇の中に隠したにすぎない。

こんなことを思ってみるのでございました。

帰宅したのち疲れた体を押して現像もあげました。この1日を生きたことを写真を精一杯したということを感じた次第であります。

現像を終えたあとはウヰスキーを飲みながらつまみを一つ。

ハッセルの切り欠きがそのままですが、お許しを、、、

自然の完全なるその姿を作る創造主の存在こそがわたくしが主題とする永遠への憧憬でございます

毎分毎秒、自然は完璧なる姿を映し出し、そしてそれを知覚できるのは人間のみであるということ

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