もうすでにフィルムを作っている会社は日本では富士フィルムくらいでありましょうか。
わたくしはacrossというフィルムがなくなった時点で日本国製のフィルムは諦めた次第であります
acrossⅡはacrossの名を冠した別物であります。
円安、ここ最近聞き慣れなくなった言葉が出るようになってまいりました。
フィルムや現像用品並びに印画紙の高騰が凄まじく、わたくしの懐具合も大変な騒ぎでございます。
カラーフィルムに至ってはブローニーで5本入りのものが1万円を超えております。
コストがかかって製作しているのに、顧客からすれば値段が上がれば次第に購入する本数も減っていく次第で、売れなければフィルム自体を生産することも無くなってくるでしょう。
海外の事情とは違って、なんにせよ日本は30年以上賃金がほぼ横ばいである事情も重なって高級なフィルム写真から撤退していく人々が出てくる、すでにデジタルやミラーレスに切り替えておられる方も散見されます。
表現技法としてのフィルム写真はこのまま円安の流れの中に消え去ってしまうのでしょうか。
いくつかの危機的状況はこれまでもあったことも鑑みると、本当にフィルム写真をやりたい人、もしくはフィルム写真でしか表現をできない人は生き抜く術を見出していくだろうと思っております
全てを絶望視するには、まだまだ状況としては立ち戻れる場所にいる。
これからのフィルム写真は文化的・芸術的な表現を中心に据えていかられる方が主になり、趣味でやられる方は少なくなってくるとは思っております。
それで、根本的なフィルム産業の衰退に歯止めがかかるはずもないでしょうが、海外には個人経営に近い会社もあるので、すぐさまフィルムが無くなるということはないと思われます。
しかしながら、失われいく文化であることは明白であります。
カメラや引き伸ばし機なども含めて整備できる方は年々少なくなり、使用者自体が整備をしなければならなくなるでしょう。
ただ問題は部品であります。部品の破損における代替えはなかなか難しい問題としてございます。
すでに存在している個体から修理部品を調達しなければならず、ジャンク品となったものを探すところから始まります。ハッセルブラッドなどは海外に郵送での対応となりますが、それでも輸送費などを考えると別の個体を探した方が早いです。
日本人は衰退していく民族であることは疑いようのない事実です。
人口はすでに減少の一途を辿り、政府はとても懐疑的で国民を信用しておらず、国民も政府を信用しておりません。
フィルムに表現の場を求める人も必然的に減少していきます。わたくしたちは滅びいく人種なのであります。
だからこそ、お互いを信用して、罵り合うのではなく、見下すことなく、助け合うことが大切になるのでないかと感じる次第です。
もうすでに誰が優れているかなど、ほんの些細なことにすぎない時代であります。
コロナ、停滞する経済、戦争とありとあらゆる弊害の中で、忘れしまった人との繋がりをいいかげんに見つめ直そうと思う時代なのではないかと日々感じるのであります。
成功するかどうかというのは所詮、運です。実力がある方でも写真が上手い方でも名を知らない方がたくさんいらっしゃいます。
フィルム写真の行く末は、人を本来の意味で平等に繋がり合うことに鍵があるのだと思っております。
社会的な表面に着飾ったものではなく、その人自身と信じ合うこと、協力し合うこと、見下すことなく、差別することなく、罵り合うことをせず、傷つけ合うことなく、変化も個性と認め、協調の中で自分を見出していく。そんな写真を求めていく人々が集まることで何か革命的なアイデアが生まれるかもしれません。
お互いに傷つけ合う時代はもう終わったのであります。