わたくしのブログでフィルムの良し悪しや機材についての詳しい話をしないのは訳がございます。
フィルムの良し悪しで作品の出来が左右されるならそもそもデジタルで撮ればいいと思っております。
綺麗に撮ることを前提にしたベクトルで見るならばそもそもフィルムを使う必要はありません。
わたくしがフィルムに求めるものは何もありません。
トーンが違う?シャープさが違う?
それは同じ被写体を撮る時にしか通じない比較の話でございます。
被写体は生きております。
その都度、全ての環境が刻一刻と変化して行くものを捉えるのにフィルムを選んでる暇はありません。
その時にあるフィルムで勝負するしかないのです。
特別なフィルムなどはなく、家電量販店で購入することのできるフィルムでいいものを作る技量を培うことの方がよほど大切だと感じております。
機材に関しては確かに弘法も筆を選ばすと言うわけにはいかない部分もあるのは正直なところでございます。
もともとの能力値を超えることが出来ないのが工業製品の限界であります。
どんなに頑張っても収差を抑えることは出来ないのは周知のとおり。
しかしながら、製品ごとにある癖は使い込んでるうちに把握できていきます。
人間の学習能力というのは本当に神に与えられた平等の能力であると思っております。
技術というものは1日1日の積み重ねでしかありません。
それを10年諦めずに続けること。
感性に溶け込むまで続けていくとカメラという機材は手足の如く感じられるようになります。
工業製品の限界を超える意味合いを持ってくると感じております。
こういうと矛盾でもありますが、うまく言葉で言えない感覚というものが存在するのであります。
第一級の写真家たちが使ってる機材に特別なものがないにも関わらず、何故あれほどに声を持つ写真を作ることができるのか?
その答えは機材を漁ってるうちはわかりません。
被写体と真摯に向かい合う日々と、現像と焼きの技術のあくなき探求。
それこそが自分しか撮れない写真を作ることが出来るための鍵であります。
フィルムや機材に語るなかれ。
語るべきは写真のみ。