今週は年に一度の母の心臓の定期検診でございました。
定期検診も何事もなく「問題なし」とのことでホッとして帰りは久方ぶりに気分転換がてら少し買い物をすることといたしました。
男の介護で悩ましいところは、母親を連れて買い物にいくと、母親の下着選びに行かなくてはならないところであります。
必然的に下着売り場に足を踏み入れることになりますが、当然と言えば当然でありますが、他のお客さんから白い目で見られてしまいます。
心証もわかるので、なるべく短い時間の滞在を心がけようとするもののなかなかそうもいきません。
母親はじっくりと選びたいのでありますから、居た堪れない気持ちを抱えたままこの時間をなんとか早く終わるようにと願いながら車椅子を押すしかないのであります。
母親にゆっくり下着を選んでもらいたいのですが、かなりストレスがかかっているわたくしはもう逃げたい一心でございます。
選び終わったあとに下着売り場を後にするとき、呼吸を止められた人間が急にその呪縛を解かれたかのような大きな溜息一つ、ふーっとなります。
なかなか男で母親の介護をするのは限界があるのも事実でありますが、そうする他ない辛さは言い難いほどのストレスであります。
人の命というものは簡単ではなく、それぞれに何かしらの重さを宿しておるものであります。
逃げ出せるものならば、逃げ出したいと思うものでありますが、そうもいかぬのが人生でございます。
それでもとそれでもと歯を食いしばって生きていかねばなりません。
どんなに辛くても苦しくても死にたくても生きねばなりません。
その強い意志がわたくしの表現の根本にあるのだと、そう思わなければ生きる能動的な衝動である芸術という名の道では何も伝わらないと思うからであります。
そして生きていなければ表現などはできないということであります。それ以上に絶望が勝るときに芸術家は死を選ぶわけでありますが。。。
長い旅路の途中で誰しもが辛い道程を歩んでおります。
わたくしにとって介護の辛いと感じる瞬間は何かを発見する瞬間でもありますれば、堪えるだけの辛いだけの時間ともうまく付き合っていけそうな思いがするのであります。