今日、眠ることができず「響」と言う映画を見ておりました。
事前に何の情報も持たずに見たのですが、大変面白く、そして考えさせられるものでございました。
テーマなどは明確にはなく、文才に恵まれた女の子の日々を描いていると言うのがベースで、文学界のサクセスストーリーのような体裁を保っていましたが、この映画の良いとこは、見る側、つまりは観客側を信用していることでありましょうか。
とにかく、不必要なファクターは全て削りに削っていて、見る側の想像力と経験則に委ねきっているところが大変素晴らしかったのでございます。
小栗旬さん扮する小説家も出てくるのですが、何の事情も環境の説明もありません。ただ、シーンに散りばめられたものから見る側が想像するしかなく、セリフも少なめで、何のための登場人物なのかわかりかねますが、最後に主人公役の平手友梨奈さんに出会って完結するという手法も面白かったのであります。
強烈なまでの才能を持った人物に出会えば、人間誰しもが、嫉妬と羨望を抱きますが、この映画で描かれる登場人物一人一人が見ている側の人にシンクロしてくるように作っているのはとても丁寧な手法であり、いつの間にか配役の誰かに感情移入している状態となります。
わたくしは、小栗旬さん演じる山本春平の執念と苦悩に共感を感じまして、挫折と貧しさと苦悩と不遇とをひたすらに狂気に取り憑かれそうな状況も耐えながら、小説を書き続けるという姿が自分と重なった次第であります。
才能という悪魔の誘惑にかられる言葉には常に苦しめられます。特に今の時代は若くしてデビューしてなければ、その後の人生は苦しいものです。
わたくしも、もう普通に生きることはできません。今から正社員になって雇ってくれる会社がありましょうか?ございません。今から老後の生活を考えて、構築することもできません。
全てにおいて遅すぎたのでございましょう。わたくしの人生は写真と共に心中する他に道は残されていないのであります。
写真の道でももう遅く、社会人としても手遅れであり、八方塞がりなのでございます。
これから何か劇的に人生が変わる以外はもうすでに終了しておる状態です。
それなら、好きなことをして生きていく方がまだマシなのではありますまいか。どのみちたどり着くところは同じ。
そう思いつつ破滅に向かう恐怖と向かい合いながら、今日という日を過ごしております。
たった一枚の写真に全てを賭けて、命を削っていくのでございます。