いい写真をうまく説明できる人の言葉をわたくしはあまり信用致しません。
わたくし自身もようやくにほんの少しだけいい写真の区別がついてきたからでもありますが、ほとんどの場合、感覚であります。
見た瞬間にそれとわかります。説明することができるなら抽象的な言葉を並べるだけでありますから、そもそもがいい写真という表現も当てはまってないのかも知れません。
この感覚は急に認識されますので、わかる人にはわかるというものでございまして、写真を長くやっておって、なおかつ自分自身で写真の全工程をされる方でないと知覚することはないと思っております。
その時の絶望は計り知れません。なぜなれば、自分が撮った写真に対してもそれがわかるようになるということであります。今まで撮り溜めた何十万枚の中で、いい写真だと思うものは一枚か全くないかという状況に追い落とされます。
そして、他の方が撮った写真に対しても一瞬でどの写真が良いかがわかるので才能の差というものが心に突き刺さってまいります。
この感覚は突然やってきますゆえ、写真をされておられる方で大なり小なり理解されることと存じます。
さらにはいい写真の反対に悪い写真があるのかというとそうではないこともわかりました。そして色彩がもたらす効果、つまりカラー写真とモノクロ写真の根本的な違いも。
それをうまく説明できるほどにはまだわたくしも完全に知覚されてはおらぬと思います。
ただ、わかるのでございます。それが歯痒くもあるのでございまして、これをうまく説明できるならしたい、自分自身への説明にもなるからでありまして。
悪い写真がないというのは、ベクトルの違いであったり、記録的な側面もあったり、色々な要素に起因することから、見た瞬間に訪れる感覚でいい写真と思う他に、違うなと思う写真があっても、それが意味合いがもととも違う写真の場合もあるからであります。
例えば報道に使われる写真でも、いい写真だと思うものがあっても、それはあくまでも報道のために使われる写真でありますので、用途は変わってまいりましょう。
そして、素人と玄人の違いがないこと。これが最重要でございます。プロと呼ばれる方の写真であってもいい写真になるということではございません。
これはこの感覚的な知覚がわかる方ならば、理解できます。誰でもがこの感覚に至ることができるものでありますので、わたくしがわかるようになったのですから人間というのの能力の神秘でありましょう。
そして、もっとも苦悩の原因になるのが、この感覚がわかったからといっていい写真が撮れるわけではないということであります。
いい写真がいい作品が作れるようになるというわけではないこと。
苦悩の始まりであります。ただ喜びの基準にもなりましょう。
いい写真と思える作品が作れた時の感動は何者にも得難いものでございましょうから。
その感覚の写真に向けて取り組むしかないのであります。理想の一枚に向けて。