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自分は何者でもない

今日はお気に入りの場所へ写真を撮りに。緊急事態宣言も解除になり、風もあって、波も高かったのでサーファーの方々が多く出ておりました。

波の音を聞くのが大好きで、海の写真を撮るのはこの上もなく幸せでございます。

そんな時間の中、思索はめぐるものでございます。

常々、この土地に生まれたのも、何某という名前をもらったのも、ただの偶然でありまして、いまだに自分が何者であるのかはとんと存じませぬ。

多くの人がそうであるように、一部の有名人、芸能人、文化人、それぞれの著名な方々以外には”一般”という名称で呼ばれます。

その”一般”の中にはそれぞれに特技を持ち、才能に恵まれ、お金を稼いでおられる方もいらっしゃるでしょう。

しかしながら、それらの人を知ることはあまりありません。友人知人であったとしても、そこまで興味も湧きますまい。

写真家の人びとも同じでございます。マイケル・ケンナを知っている”一般”の人はどれだけいるでしょうか。写真をしていれば当たり前のように知ってはおりますが、それ以外の世界に出ればマイケル・ケンナも一般人になりましょう。

自分が何者であるのかを知るために生きようとするものでしょうか。

わたくしはそのために写真を撮るものであると思っております。何者であるのか。自然との関わりの中でわたくしも創造者の一つであるものであることを証明するために写真という媒体を使って、日々ファインダーの中から世界と関わり合おうとしております。

わたくしのことを誰も知らない。

それはわたくし自体も同じであります。

道ゆく大勢の人たちのことについてもわたくしは存じ上げません。

わたくしという存在を知るために誰かに関わることで教えてもらっているのかも知れません。

波はわたくしの足を撫でて、足跡を消していきます。

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