フィルム写真をしている方であれば、この名前は必ず聞くことになるものでありましょうか。
もしくはなんらかの勉強中にも聞くことになるとは思いますが。
フィルム写真をスキャンしてSNSにアップする方にとっては厄介な事象でございましょう。
フラッドヘッドスキャナを使用しておると、フィルムのスキャンの際に液垂れのようなものが現れます。特に中判カメラなどで撮影した6×6のフィルムなどは自重のためによりこの事象が現れやすいかと思います。
わたくしも現像やらを自分で始めたときはフィルムの仕上がりをスキャニングして確認しておりましたので、このニュートンリングには頭を悩ませました。
今現在はフィルムの確認はライトボックスにて行っておりますので、そういったことはありませんが。(ライトボックスとは病院などでレントゲンを見るときにフィルムを透かすために白色電灯を点灯させて確認する機械)
このスキャナーのガラス板に現れる干渉縞なるものの対応方法は諸氏の方が色々とやっておりますが、経験してきたものから言うと、フィルムの確認は直に見る方が良いと思っております。
なぜなれば、フィルムの仕上がりをスキャナーを通してみるとなると、スキャナーによってはコントラストも変化し、もちろんトーンも変わるわけであります。
それを理解していても、パソコンの画面で見た時の印象によって、手焼きを行って形にする際にどうしても一度見たフィルムの仕上がりに合わせようとする心の働きがあると思っております。
それはどうしても良い作品を作るときに余計なファクターとして作用するものと思っていますので、フィルムの確認はできればライトボックスにて行うのが良いと思っておる次第であります。
それでも、SNSにて投稿をされたいと思う方もいると思いますので、それはそれで楽しいことであるのでいいと思っております。
しかしながら、手焼きを行うことが最終的な完結だと思っておりますので、その過程での出来の判断をされるのはもったいないとも思います。(判断というのはあくまでも周りからの評価をされる意味ですが)
またスキャナーを買うよりもライトボックスならネットのオークションで安く手に入りますし、コストも抑えられます。
高いスキャナーを買って、自分の作品がちょっと違った風に見えるのは勿体無いと思うのです。
アナログ写真の基本構造は変わりませんので、そこから自分の想像力でもって工夫したり、応用したりすることが楽しいものでありますので。
「ピアノは違う。鍵盤は端から始まり端で終わる。鍵盤の数は88と決まっている。無限ではない。弾く人間が無限なのだ。人間の奏でる音楽が無限。そこがいい。無限の鍵盤で人間が弾ける音楽はない。ピアノが違う。神のピアノだ」
大好きな映画で「海の上のピアニスト」がありまして、そこで主人公がいうセリフがとても好きであります。
この言葉を聞くたびに写真も同じであると思っています。