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レンズは外に向けるものではなくて自身の心のうちに向けるもの

4日目の暗室作業を続けているうちにハッと気付いたことがありましたので、今書き綴っています。

わたくしが師と仰ぐ方が常に言われていた言葉の意味がようやくに分かりました。

「レンズは美しい風景、被写体に向けるものではなく、自分自身の心に向けるもの」

この言葉の意味が、本当に意味がわかっていなかった。

その意味が暗室の中で外部のものから遮断された空間で、自分しかいない空間でふと啓示のように降りてきた

自分が写真を作る理由にもなるもの。

自分自身が持っている弱さ。人を信じきれない心。虚栄を目論もうとする心。誰かの礼賛を浴びたいという邪な心。自分自身を信じきれないことから湧き立つ焦燥感。

それらは全て写真を焼いていると投影される。

誰かに褒めてもらいたくて美しい写真を作ろうとしていたこと。誰かの心に残る写真でなければならないという強迫観念。

それには優れた技術がいるものだという傲慢さ。

全てが外に向けられたレンズから見える風景ということに気が付いた。

その気持ちを持って焼いた写真はどんなに美しかろうとどんなに人が見たこともない風景だろうと、プリント技術が優れたものであろうと自分自身の写真ではない。

手焼きした写真にそれを美しいと思う自分の心。その美しいと思った自分の心の写真を同じように思ってくれる方を信じる気持ち。自分がそれを持っているという自分自身に対する信じる気持ち。

それらを感じながら写真を作っていくことの大切さ。それがレンズを自分の心に向けることがだということがわかった。

だから、どんな風景だってよかったんだ。日々の暮らしの中で、ここが美しいと思った瞬間がその刹那が自分自身ということの意味なんだ。自分の存在があやふやなものじゃなくて確かなものだということの証左だったんだ

そのシンプルなものをシンプルなまでに写真として焼けばいい。難しいことはいらない。ごく簡単に至って単純に。それだけでいい。

そこに表したものは現実に生きている自分を自分自身に語りかけるものだということ。

これからも自分自身にレンズを向けることを忘れずに写真を撮っていきたい。上手く撮ろう上手く焼こうではない。瞬間瞬間にそこに存在するものは自分の中にある心が映し出した風景なのだと。

自分の存在を消すことはできない。心を失うことはできない。創造者は誰でもない一人一人だった。

そんなことを理解した。

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