今日はふらりと福岡の街でも埋立地に乱立する異様な光景でもある風景を撮りに行ってきた次第であります
赤外線寫眞も撮ろうと思い立って、曇り空から太陽が覗くのを待っていると海沿いに住んでおられるご老体に話しかけられました。
「野鳥でも撮っとるんですか?」
「いえ、変わっていく福岡の街を撮ろうと思ってきました」
「あーそうでしょう。わたしは80年この辺りに住んどりますが、あそこの埋立地ができてからというものここの海は汚くなりましてなあ。昔はそのまま海に入れるくらいに澄んでおったんですが、今はヘドロやらゴミやら海流が流れなくなったせいで溜まるいっぽうなんです」
「そんなに変わってしまったんですか」
「この辺りは石炭を運ぶ船が大変行き来しとりましたし、その船から飛び込みなんてしておって笑」
そんなふうに笑うご老体の笑顔はなんとも悲しい印象を受けたものでありました。
発展していく街で、生活をしなければならない人や新しい生活を始める人もいて、どれが正解なのかなんて判りはしないものの、それは全ての営みが人間というものなんだろうと感じた次第でありました。
否定することも簡単ではなく、受け入れることも簡単でもない。それぞれが生きて行かなければならない「業」といいうものに縛られながらも、その日その日を笑って過ごせるように努力していく様が人間の生活なのでありましょう。
誰が悪いわけでもなく、誰が正しいわけでもない。それぞれに必死に生きていくなかで、この風景を見ながら会話をしたこの時間は変わり行く世界の中で変わらない人との交わりというものでしょうか。
その名残を今日は私はフィルム写真で撮り納めて帰路に着くのでございました。