あれをしなければならない、これもしなければならないという世間の感性に侵されて、その立ち位置からの視点を持つようになると自分自身の感性がにぶってくる。
結局は1%に過ぎない金持ち達の道楽のために我々は表現しているのか?
糊口を得るために名を売り、名札をつけた作品を買わせることに終始して、芸術の永遠性については標榜しながらも、日々の糧に躍起になってしまう。
写真を撮る時に心のどこかで誰かに見てもらいたいなどの下心が出ると、一瞬でその作品には卑しい印象を与えてしまう。
自分が美しいと思うものだけをどれだけ世間の感性という名の誘惑から引き離すか、その悪魔へ対抗できるか。
ただ純粋に自分がこれは美しいものだと、表現する事が自分の使命なのだと思う感覚になった時に、作品は純潔性と永遠性をもたらすものだと信じる。
世間の大半の人は名が売れた者、世間一般の成功を収めた者しか相手にしない。有名になった者、お金を稼ぐ者、誰もが知る者に他人は乗っかってくる。他人のために私の感性はあるのではない。
芸術性をいかに叫んだところで、ゴッホが生きていた時と何一つ変わらない。
死んだ後にすら見向きもされない。それを覚悟した上で芸術家と自称するならば、笑われようと嘲られようと自信を持って名乗って良いはずである。
誰に何を言われようと、もう何も怖くはない