写真を撮れなくなることはわたくしにとっては生きていることを否定されることでございます
現実という可能性の限界を仕切られる壁を打ち破ることができるのは、意識をより高いところに飛ばすことで自分の可能性を信じることができる時だけであります。
それができなくなれば、生きていることなどはどうでもいいと思えるほどのことでございます
だからこそ、自分がこれと思って生きている人がなんらかの事情にて断念せざるを得ないことになったことに対しては心の底からの共感と尊崇の念を持っております。
その苦痛、悲壮は筆舌に尽くし難いものであることは容易に想像がつきます。
わたくしにとっては写真はそれ以上の意味を持った存在でございます。
どんなことがあっても諦めきれず、それを邪魔するものがあった時は大変落ち込みもするし、切り替えて戦おうとする気持ちになるまで時間がかかったりもします。
しかし、写真をやめることはわたくしにとっては死そのものであります。
やめた瞬間にもう生きてはいない状態と同じであります。
そんなことに人生を賭けてどうなるものなのか
ただ、自分が死んだ後に誰かが、わたくしの写真を見て少しでもこの世の苦痛の棘を感じなくなるのならばそれだけで幸せなことであります。
そしてわたくしは今日も写真を撮るのであります。