前回の個展より半年が経ちましたが、第2回目の個展の場所と日時が決定いたしました👏
来年2024年3月19日、ギャラリー大手門にて開催致します!!
題名は「21グラムの肖像」展になります。
21グラムというのは、映画にもなりましたが、かつて人が死ぬと21グラム失われるという研究結果を世に出したダンカン・マクドウーガルに由来します。その重さが魂の重さなのではないかというものです。
残念ながらその研究結果は正確なものではないとのことで認められてはいません。
しかしながら、その文学的な意義においてはなんとも魅力的な力を持っています。
魂の存在が人にだけに許された、神からの特権であるならば、その在処はどこにあるのか?
自分は生まれてくる時、母のお腹の中ですでに死んでいるものと思われていたとのことです。
超未熟児でお腹から出てきた時、1時間以上もの間泣かず、産婦人科の先生がこれでもかと背中を叩き続けてくれたおかげか息をし出しだとの話を聞かされていました。
幼児心に自分の肉体は本当に自分のものなのか?という問いはずっと心に潜んだまま今日まで生きています。
生まれてくるときに違う何かが、空になっていた肉体に宿ったのではないか?それは運命なのか、もともと私の肉体に宿るべきものだったのか?
この世界で生きている感覚があまりにもチグハグで、違和感にずっと苛まれています。
人が人である証が魂の存在であるならば、私の違和感の正体も納得がいきます。
そうでなければと自分自身への内省によって今回の作品を作り上げなければと思った次第です。
今回の個展の題材はまさに自分の魂を表現することを命題においたものです。
それにはどう表現したら良いのか?何を魂と定義できるのか?人間の肉体を持って表現したところでそれは自意識の投影をモデルを通じているだけで肉体を離れることはできない。
それならばと今回のために作ったものを被写体としました。
人間がなぜロボットを作ろうとするのか、自分たちの似姿を作ろうとする神の所業を真似することに執着するものか。そこに魂の存在の定義を見出そうとするからではないかとそう思いました。
撮るものの魂を奪い取って命あるものであろうとする業。それは自分の魂のかけらが創造した被写体に宿っていると仮想して写真に収めることで自分自身の魂を見出そうとした記憶です。