あなたの心の表象こそが写真というものの表現である。
とどまることを知らない心の動きを切り取り、とどめて、心が見たものを形にする。
カメラという道具を使って行うのは、時間を切り取るものではない。
掴みどころのない心は、今思ったことに気がついた時にはもうすでに違うことを考え始めている。
あ、という刹那の感覚に合わせてシャッターを切る。それは自分の心と調和する。
シンクロした世界が、自分の見た、見ている世界なんだ。
そして、それは心と一緒ですぐに過ぎ去っていく。同じ場面、同じ瞬間はやってはこない。
そこには自分ですら気がついていない感覚がある。
無意識の感覚だ。
しかし、写真を撮り続けていると心の動きを知覚出来るようになってくる。
じっくりを観察しながら写真を撮ることができるようになる。
写真を形にすることは、あやふやな存在の心というものを、魂というものの具現化させる行為なのだろう。
そして、その人の写真を見るときに心はシンクロするか否か、それだけが写真芸術の芯の部分だ。
私はそれを基準に写真芸術を求めていけばよいのだと気がついた。
私が、写真を、作品を制作し続けるのは、心という精神的な活動を止めておきたいからに違いない。
見るものとの魂の交流を持つための表現なんだ。
カメラという機械は、この道具ほど心を捉えるのに適したものはない。
