サイトアイコン サジキハラ テツの暗室

無人島の君に寄せて

芸術作品は、無人島にあってはなんの価値も意味も持たないだろう。

それは金銭も同じように。

肉体的な制約を受ける以上、生存という本能には打ち勝てない。

生きる為の糧の方が大切になる。

しかし、そこには意義はなかったと君は言った。

だが、生存していなければ創作活動もできまいと僕が反論した時、ただ君は静かな笑みを浮かべていただけだった。

どんなに文明的な場所に生きていたとしても、芸術家は常に無人島にいる様なものだと、僕らの精神が存在している場所からは水平線しか見ることが出来ないと、時々は船の往来や天気が良ければ水平線に浮かぶ対岸の山が見えることもあるかも知れないが、結局は隔絶した場所に存在することしか出来ないとも言っていたね。

言い換えれば、環境という外部の影響を受けることなく生存という本能からも超越したところに芸術の意義があるのだとしたら他者への共有自体もナンセンスだということになる。

それにも関わらず、表現し続けることになんの意味があるのか。

この肉体という器の中に、確実に感じることができる。それは脳の錯覚とは別物の存在を、確かに触れることが出来る「心」と呼ばれるものの中に去来する不確かな存在を明確に捉えることが出来るものが芸術しかないのではないかという答えを得るために制作しなければならない。

僕らの心の世界には誰もいない。ただひたすらに自分という存在を見ている。他者が存在しない世界で、自分という認識を得ることは可能なのだろうか。

それを可能にするのが、自らが生み出した芸術作品なんだ。

自らの心の形を肉体という制約の限りで認識させることが、自分というあやふやな存在しているのかしていないのか不在のような感覚の中で生きている実感そのものをもたらすことが出来る。

そこに意味を持たせることが出来るのは、ただ価値という基準を超えた永続性がある。

自分という存在の永遠性が、そこにもたらされる。

そして芸術を鑑賞するものにもたらされるのは、芸術家の精神の世界を共有することにより、他者と誤解なく分かり合えるという可能性なんだ。

芸術家の精神の中に見出すことのできる人間の真理と世界の理が開ける。

だから僕も無人島で、ただ一人になったんだ。

モバイルバージョンを終了